夜美果〜誘惑の夜
(いたわ。あの男ね)
剣崎夜美果は脳裏に写真を思い描いた。依頼者から渡された一枚。依頼者と一緒に映っている男を、バーのカウンターで一人でにやにやしている男と重ね合わせる。完全一致。よろしい、ターゲットに間違いないようだ。
依頼者の泣き声が耳によみがえる。派遣先で、監督にあたる人物と、望んでいないのに肉体関係を持ってしまった。しかもその時の写真を撮られている。直接の脅迫はされていないが、相手は自分をいつでもクビにできるし、自分の痴態をネットに流すことも簡単だと思うと、強く出ることもできない。
夜美果はショットグラスを傾ける男に近づいてゆく。緊張はない。身の危険があるような相手ではないことはあらかじめ確認済み。仲間を集めて集団で女を襲ったり、薬物を使ったりするようなやつなら最初から警察にまかせる。自分は弁護士であって警官ではないのだ。
直接相手の顔を見に来た理由は二つ。ひとつはまず、弁護士と名乗って会う前に、普段の、素の表情を見ておきたいということ。それもできればリラックスしたところ。直接会話する必要はない。人間の性質というのは外から見ているだけでもある程度はつかめるのだ。
観察の結果。第一印象、黒。いかにも女性を食い物にしていそうな軽薄さ。見た感じは清潔感があり、真面目っぽいけれども、バーテンと会話する時、表情の端々に気にくわないものがあらわれる。よく言って、獲物を自慢する狩人の顔。悪くかつ言いたいように言わせてもらうなら、最低最悪のクソ野郎のツラ。
ただ、夜美果が気にしている部分はよくわからない。
依頼者は妙なことを口走っていた。どんなに嫌だと思っていても、面と向かって難詰しようとすると、なぜだか気持ちが変わってしまって、言いなりになってしまう。催眠術をかけられているらしい、と。
(催眠術、ねえ……)
あの男がそういうものを使って女性を好きにもてあそんでいるというのなら、準強制わいせつで罪に問うことができる。睡眠薬や酒を使って前後不覚になった女性に乱暴した時に適用される法律だが、催眠術を使った場合でも適用されるという判例がすでにある。
問題は、本当に催眠術なんていうものを使っているのかどうかの立証だ。
夜美果はある程度催眠術について勉強してみた。催眠術というのは、世間一般で思われているような、かけられた者が意識を失いロボットのようになって術者の言いなりになるものではない。「眠」という文字で誤解されがちだが、かけられている方が眠っているわけでもない。目を開きちゃんと受け答えをしつつ、それでいて催眠状態ということが実際にありうるのだ。
外からの確認は、直接術をかけている場面をビデオ撮影でもしない限り難しい。
となると、自分の身で試してみるのが一番てっとり早い。夜美果はそう結論づけた。
依頼者には悪いが、夜美果は自信があった。そう簡単に言いなりになるほど自分は頭が悪くない。依頼者は、色々と話してみた印象では、自分の意志が弱く、肝心な部分の決断を他人にまかせる傾向がある。難しい部分を自分で決めて責任を背負うよりは、誰かに支配してもらってすべての決定をまかせてしまいたい、そういう心情のタイプだ。
夜美果は違う。自分にまつわるすべての意志決定を自分でできる。そういう自分だからこそ、それができない相手の助けになることができるのだ。
あの男に、格好の獲物として自分を見せつけ、向こうから手を出させる。夜美果にはそらの自信もあった。女を容姿だけで判断する男は軽蔑の対象だが、必要とあらば容姿を武器にすることもいくらでもできる。それだけのしたたかさがあればこそ、この年齢で事務所を開いてやっていけているのだ。
夜美果は男からひとつ席を隔てて、カウンターの空席についた。
適当に酒を注文し、物憂げに一人グラスを傾ける。実際、考え事の材料ならいくらでもある。仕事関係で厄介な事例を思い起こせば、いくらでもため息など湧いて出る。
「お一人ですか?」
ほどなくして、横合いから声がかかった。
件の男が、気がつけば隣のスツールに座っている。さりげなく席を移したのだ。
「ええ……そうだけど?」
警戒心をにじませ、ややきつい目つきを向ける。このシチュエーションなら当然の反応だ。
相手も、夜美果の反応を当然のものと流し、人好きのする笑みを浮かべた。
「待っていた相手にすっぽかされたみたいでしてね。よろしければ、愚痴など聞いてもらえませんか」
「口説くなら、もう少し気のきいたことを言ってみたらどう?」
「はは、きついですね」
全然こたえていない風に男は笑った。
「では正直に、あなたとお近づきになりたい。口説きたい。これでいかがです?」
「本当に正直ね。まあ、正直な男は嫌いじゃないけど。嘘つきはもうごめんよ」
突っぱねているようだが、自分からぼろぼろと事情を漏らしている、これは与しやすそうだ。男にそう判断させるように夜美果は言葉を選んでいた。
「何かいやなことがあったようですね」
「何もなくて女一人で飲んでるわけないでしょ」
「そりゃそうだ。でも、一人よりも二人の方が、早く気が晴れますよ。そうでしょう?」
まず相手の言うことを肯定し、それから自分の望む方へ話を誘導してゆく。確かにこの男、口はうまそうだ。
夜美果は物憂げに、しかし心底では相手を拒んではいないように装って、少しずつ相手に気を許しているように見せかけた。
男の態度は、少なくともこの店内においては紳士的で、世慣れた感じがあって、事情を聞いていなければ、夜美果から見ても嫌悪すべき点は見つからなかった。
様子が変わったのは店を変えてからである。
男が誘った店は、最初の店より照明が暗く、淫靡な雰囲気が漂っていた。
カウンターではなく、二人きりになれるボックス席に男から腰を落ち着ける。
夜美果は男と向かい合う位置に座った。男は隣に移ろうとはしてこない。むしろ夜美果の正面に位置取ることを喜んでいる気配があった。
「それじゃ、ちょっと面白いことをやってみましょうか」
しばらく話し、最初の店でと同じくらいうち解けてきたところで、男がそんなことを言い出した。
男の手に光が灯る。青く、鋭い光。底面にLEDの埋めこまれたライターだ。
炎とは違う硬質な光を、男は夜美果の目にきらっと見せつけた。
「なに?」
「ちょっとした占いですよ」
「占い?」
またきらっと光を直撃された。
「まぶしいですか? 時々まぶしいかもしれませんね。でも大丈夫、落ちついて見ていればわかりますよ。この光の色が、だんだんと変わっていくんです。あなたの心に合わせて、落ちついた色か、それとも激しい色か……どういう風に変わるかはあなた次第。ほら、よく見てください……あなたの心がこの光に映し出されますよ……」
男の声が低く、ゆったりした口調に変わってくる。
来たな、と夜美果は内心で緊張した。いよいよ催眠術をかけ始めた。
抵抗するのは簡単。しかしここで拒んでは、男の手口をつかめない。夜美果は男に同調してみせる。
「あ……ほんとう……色が……」
「ぼやけて、暖かい色に変わってきたでしょう?」
確かに、青い光の輪郭がぼやけ、光全体が大きく見えてくる。
当然だ、と夜美果は思う。まぶしい光をじっと見ていれば、目が疲れて、自然とそうなる。それをさも人為的な効果と思いこませるところが手管なのだ。
「ほら、もっとよく見て。落ちついて、じっと見て……もっと、もっと、あなたの深い部分が見えてきますよ……」
光が消えた。と思ったらすぐ点いた。男は光をゆっくりと点滅させはじめる。一定のリズムで明滅する光を見ていると、確かに引きこまれてゆく。光が灯るたびに、色合いが変わっているようにも感じられる。
「目を閉じたいなら、閉じてもいいですよ。その方がよく見えますよ。さらに深く、深く、あなたの深い部分を見ることができますよ。ほら、まぶたが重たいでしょう。目を閉じていいんですよ。自然とまぶたが落ちて、す〜〜〜っと……力が、抜ける、抜ける、ほら、すうっと……楽に……穏やかな気持ちに……」
これは目を閉じた方がいいんだろうな。男の言葉どおりになる方がいい。夜美果はそう判断し、まぶたを下ろした。実際、目を閉じると光の凝視から解放されて、楽だった。全身の力を抜く。このまま寝入ってしまいたいくらいに気持ちいい。
「ほうら、そのまま、もっともっと、力が抜けて、楽になっていく……す〜〜っと、力が抜けて、抜けて、抜けてぇ……気持ちいい……」
緩んだ声音に、夜美果の体も従った。力が抜けてゆく。わずかにパニックに陥ったが、すぐ思い直した。大丈夫、ここは言うとおりにしていい。男の手口に乗ってみせていい。夜美果の力はますます抜けてゆき、今度は後ろに首が傾いて、白い喉をさらけだし、手足もだらんとなって、ソファーからずり落ちそうになる。足もゆるんでスカートの中身が見えそうになるが、心地よいけだるさに包まれ、どうすることもできない。
「そのまま、僕の声だけを聞いていてください……あなたは素直に、どんなことでも話すことができますよ……」
名前は、と訊かれた。
素直に話す、と言われているんだから、話してみせないと、男をだませない。
「剣崎……夜美果……」
年齢を問われて、隠さず正直に答えた。男より一つだけ年下のはずだから大丈夫。案の定、男は嬉しそうにした。
「今、つきあっている彼氏はいる?」
「いないわ……」
これも本当。
「じゃあ、最近Hは? 最後にセックスしたのはいつ?」
「……五年前……」
もうずいぶんとご無沙汰だ。
夜美果は思い出す。最初の男。大学で出会った男。優秀で、力強くて、国家試験に通るとかそういうことではない、人間として上等な、本当の意味でのエリートだと思った。親しくなり、惹かれ、男女の関係になった。初めての時はただただ衝撃。それからだんだんと慣れてきて、気持ちよくなって。絶頂も知った。性欲に突き動かされるまま、一日中素っ裸で過ごしたこともあった。
思い出したことを、夜美果は自然と口にしていた。別におかしなことではなかった。素直に話すのが当たり前なのだった。
「その時は、ずっとセックスしてたんだね。何回ぐらいイッた?」
「わからないわ……もう、ずっとそういう気分で……気持ちいいのがずっと続いてて……彼が三回射精したのはおぼえてるけど……私の方は、もう何度目だか……」
「すごくよかったんだ」
「ええ……よかった……」
「じゃあ、その時の気分はよくおぼえているね。思い出すよ。ほら、全身がその時のことを思い出す……あのすごい気持ちよさを……」
男の手が夜美果の胸にあてがわれた。あ、と夜美果の脳裏に警戒信号が灯る。けれども次の瞬間、男の手が、学生時代の男の手と重なる。男の手が夜美果の胸を揉む。鈍いけれども強い快感が芽生える。夜美果は深いため息をついた。大丈夫、このくらいのことはさせてもいい。夜美果は自分が意思をなくしていないことを確認し、安心して記憶と現実を融合させる。
「ん…………あん……」
鼻にかかった声が自然と漏れる。男の手が動くたびに、かつて味わった快感が押し寄せてくる。そう、こうして服の上から揉まれて、そのうち男の手は服をはだけて、内側に入ってきて、直接素肌を……生の乳房を……。
本当にそうなった。かつての恋人=今の男の手が、夜美果のブラウスをはだけ、ブラジャーをめくり、たわわなふくらみに手を這わせ……。
「んっ!」
乳首に触れられた。強烈な快感がはしった。思わず悲鳴が上がる。顔が熱くなる。
これはまずいのではないか。これ以上は。この辺でやめて、身を起こして男を平手打ち。
だけど……。
「大丈夫ですよ……落ちついて……体にまかせて……ほら、呼吸を意識してみてください……どんどん力が抜けて……でもその分だけ、気持ちよさが深く、広く……体全体がゆるゆる、とろとろとなってきて……ほら、どんどんこみ上げてくる……気持ちいいのが、じわじわ、広がって、ほうら、すごく広がって……」
男の指が乳首をとらえ、こね回す。まだだ、まだ言う通りにしていないと。夜美果は言われるままに呼吸を意識する。
息を吐くたびに体がゆるみ、同時に確かに男の言う通りに、全身がとろけるような快感に満たされてゆく……。
「あ…………ん……あ…………あぁ…………」
たまらない。こんな快感は初めてだ。色惚けしていた学生時代でも、これほどに感じたことはなかった。
大丈夫。夜美果はあらためて自分に言い聞かせる。まだ大丈夫。私は我を忘れていない。自分の意識を保っている。この快感を愉しんでいるのは自分の意志。やめようと思えばいつでもやめられる。
ねっとりと乳首をいじられ続けていると、甘い痺れが下腹部に芽生え、どうしようもなくうずいてきた。
「どうしましょうか? このまま、胸だけでイッてしまうこともできますよ。でも、もっと気持ちいいところで、もっと一気に、最高の気分になることもできる……あなたは自分の心に正直に、してほしいことを口に出せますよ……指を鳴らすと本当のことが言える。素直になるのはとってもいいこと……さあ、どうしてほしい?」
パチッ!
これは言わなきゃ変よね……それっぽいことを言わないと、おかしいって思われるわ……。
「もっと……ん……もっと、気持ちよくして……」
そうよ、こう言うのがこの状況なら自然だわ……これは私の意志で言っているんだから大丈夫……こうやって、もっと男のなすがままにさせて、調子づかせるのよ……。
「どこを、どうしてほしい?」
獲物が手に落ちたことを確信した、粘っこい声音で男は言った。
同時に男の手が、夜美果のすらりとした足に触れた。
太腿をなで回されると、嫌悪感より先に、学生時代にも味わったことのある甘い痺れが広がってくる。音叉の共鳴のように、そこから生まれる快感は夜美果の大事な部分を震わせ、火照らせて、切ない、もどかしい気持ちを炭火のように赤々とかきたてる。
「んっ……あっ……あ……そこ……そこよ……そこ……」
男の指が、スカートの中、肝心の部分に触れるかと思うと引き下がり、夜美果の期待をことごとく裏切り続ける。男から触れてくれば後でどうにもできるのに、触れてこない。
「うっ……うう……あっ……そこっ……あっ……んんっ……くっ……!」
あと少し、少し、すぐそこを、そこ、そこに触れてくれれば、そこに……もどかしさが夜美果の脳髄を灼く。あそこがじんじんして、泣きたいくらいの気分。
学生時代にも、こうして焦らされたことがあった……記憶がよみがえった瞬間、男の手は昔の男の手になっている。薄目を開く。ここはワンルームマンションだ。夜美果の部屋。自分は学生、相手も学生。まだまだ青二才同士、熱情と体力だけが有り余って。
「あ、は、はやく……そこ……焦らさないで……はやくして……もう、あっ、あっ……!」
「どうして欲しいか、言ってごらん」
耳に流れこんでくるのは、昔の男の声。
「そこ……そこに……もっと……あっ……」
答える夜美果も、学生。自分は学生。二十歳をちょっと過ぎただけ。焦らされてふくれ上がった欲望を抑えるすべも知らず、ただただ翻弄され、悶えるばかり。
それでも自制心を総動員して耐えていたが、指がショーツの上を、割れ目に沿って這い回ると、もうどうすることもできなくなった。
「ちょうだい! 指、そこ、中に、入れて、いじって!」
「指でいいの? もっと欲しいものがあるだろう? すごく欲しいものがある。もっと太い、熱いものが欲しい。そうだね。ほら、欲しいよ、欲しい、とっても欲しい……」
灼熱の塊がこみ上げてくる。そうだ、欲しい、あれが、男のあれが欲しくて欲しくてたまらない。あれを挿れられる、挿れられてこすられる。それが最高の快感をもたらす。期待が夜美果を突き動かす。自分が消え失せ、欲望だけになる。
「ち、ちょうだい、ちょうだいっ! 挿れて、ち○ちん挿れて、セックスして! 犯して!」
ようしっ! 男が意気ごんでのしかかってくる。夜美果は足を自ら開く。
「ふふふ、ちょろいもんだぜ……」
足首をがっしりつかまれ、さらに大きく股を開かれた。
なんて強引な。
(…………あっ!?)
脳裏を閃光がよぎった。
この強引さにはおぼえがある。その先には苦い思い出がつながっている。
二人の蜜月は、持って生まれた能力の差が如実になってくると共に終わりを告げた。
夜美果は司法試験に挑み、難関の試験を突破し――――同じく挑んだ男は落ちたのだ。
破局が訪れた。よどんだ目をした男は、夜美果の慰めなど耳にも入れず、強引に夜美果を押し倒し、犯した。レイプだった。偉そうに、と男は夜美果を罵った。さぞ俺のことがみっともなく見えているだろうな。いや最初からそう思っていたんだろう。お前は優秀だからな。俺のような凡人なんてどうでもいいんだ。エリート様が、俺みたいなみじめな男に体を許してくださっていたのですな! ありがとうございます! だけどな、だからと言ってお前の方が人間として上ってわけじゃないんだぞ! わかったか、女のくせに!
その瞬間、男への想いすべてが消え失せた。残ったのは軽蔑だけだった。
夜美果はそんなこと一度も言っていないのに、そんなこと考えたこともないのに、男は勝手に上とか下とか、序列をつけて考えていた。根っからそういう発想しか持ち合わせていないのだった。唾棄すべき感性だった。
足首をつかむ手は、その時の男と同じ……。
「あ…………!」
夜美果は目をしばたたいた。
幕が落ちたみたいに、すべてが一変した。
ここは自分の部屋じゃない、男に誘いこまれたいかがわしい店。自分はショーツを半ば脱がされかけたあられもない格好で、男が今にもズボンの前を開こうとしている。
周囲のボックス席からは似たような淫らな気配が伝わってくる。男もいやらしいニタニタ笑いを浮かべて、これから夜美果とひとつになれるのだと股間をふくらませている。
「それじゃ、夜美果、いくよ……」
粘っこい舌なめずりをしながら、男がのしかかってきた。
夜美果は自分から男に抱きつき――――体重を利用して、くるりと上下を入れ替えた。護身術のトレーニングで身につけた動き。
「え?」
何が起こったかわからないでいる男の口に、おしぼりを突っこむ。
そして速攻、むき出されている肉棒の、その下の袋を握った。
手の平におぞましい感触。毛の生えた、ぬるぬるした袋と、その中の玉。
「動かないで。動いたら潰しますよ」
「むぐ……!」
急所を文字通り握られた恐怖から、男は蒼白になってうなずいた。
「私は弁護士です。名前はここでは明かせませんが、とある女の方から、あなたがセクハラをはたらいた件で民事訴訟を起こしたいと依頼を受けました」
「むぐうっ!?」
「お静かに。あなたのやり口はよく理解させていただきました。今後の対応に誠意を見せていただければ、少しは情状酌量しないでもありません。よろしいですね?」
握った手に力を入れる。相手は満面に冷や汗をにじませ、一心にうなずいた。
夜美果は目に力をこめ、顔を近づけてどすを効かせる。
「催眠術なんて、最初っから全然かかってなかったわよ。ばーか。へたくそ!」
相手の瞳孔が開かれ、揺れる。心に深い傷を負った。
夜美果は満足して身を離した。悠々と別なおしぼりで手を拭き、男の股間に投げつける。乱れた衣服を直すさまも、堂々と男に見せつけた。男は反撃どころか、完全に威圧され、子供みたいな顔で震えるばかり。
夜美果は店員に万札を数枚握らせて、店を出た。女に金を払われたというそれだけのことも、ある種の男にはダメージになるのだ。
「あ〜〜あ」
よどんだ空気から解放されて、夜美果は大きくのびをした。夜空には、ネオンを空かして、わずかな星。見上げるとすがすがしい気分。
「まったく、何が催眠術よ。かかるわけないじゃない」
そう、自分はまったくかからなかった。最初から最後までちゃんと意識があった。醒めようと思えばいつでも醒めることができたのだ。危険な状態になったのは、夜美果がそこまでつきあってやったからにすぎない。
「ん……」
胸がうずいた。乳首がじんじんしている。股間もまだ甘い痺れに包まれ、下着がわずかに濡れていた。
「まったくもう……」
自分は若いのだから性欲をおぼえるのも無理はない。適当な可愛い男の子でも引っかけて遊んでいこう。セックス自体に罪はない。悪いのは男が女を自分の所有物のように考えることで、お互いを尊重しマナーを守って愉しむのなら、性行為はむしろどんどんやっていい。
ちょうどいい感じの少年がいた。中学生、背丈からするともしかすると小学生かも。こんな時間にと思いつつ、体のうずきが勝って、声をかける。
「あっ……」
知り合いだった。
子供なんかじゃない。れっきとした成人男性だ。
「げっ!」
汚物でも見たような声を、双方が同時に漏らした。
「立花さん?」
「剣崎弁護士センセイ、こんな時間に夜遊びですかあ!」
ヤクザの手下になって可哀想な人たちをいたぶっている、大人のくせに子供みたいな背丈しかない、立花竜尋という男。
よりにもよってこいつを誘うところだったのか。夜美果は吐き気さえおぼえた。それまで体が淫らにうずいていたことも、たまらない恥辱だった。
「仕事です。あなたと違って、大人には大人の遊び方というものがあるんですよ。子供は早く家に帰っておねんねしなさい!」
吐き捨てると、自分から立花に背を向ける。
せっかく盛り上がっていた気分が台無しだ。それこそ催眠術でもかけてもらって、今の記憶を消してもらいたいぐらい。
これだから男はいやなのよ。夜美果はそうつぶやき、夜道を歩いていった。
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